オロフレ山(1231㍍)、ホロホロ山(1322㍍)=2016年2月27日~28日
㊤2日間の動画
自炊宿「ひかり温泉」を拠点にした雪山山行として今年も企画、実施した。
「ひかり温泉」は、正式に言えば、壮瞥町の蟠渓(ばんけい)温泉にある「伊藤旅館ひかり温泉」ということになる。蟠渓は、アイヌ語で「パンケ・湯」(川下の温泉)に由来しているとされ、北湯沢温泉、壮瞥温泉とともに、奥洞爺温泉郷を構成している。
蟠渓温泉は長流(おさる)川沿いに明治時代に開湯し、硫黄生産日本一を誇った幌別硫黄鉱山の奥座敷として古くからの湯治場として知られ、かつては芸妓衆もいた。現在は温泉宿が3軒、日帰り入浴施設1軒しかない。その中でも、明治17年(1884年)に創業した最古の宿が「ひかり温泉」だ。
外観も内部も古いが、タイムスリップしたかのような居心地の良さがたまらない。
オーナー村岡勲、喜美子ご夫妻のアットホームなホスピタリティー、昭和レトロなステージ付き宴会場、石風呂、ひのき風呂、内風呂の3つの湯で24時間、気兼ねすることなく、ゆったりできるところはやはり魅力だ。いつまでも元気に残ってほしい鄙びた温泉である。
ひかり温泉から徒歩200㍍、長流川左岸に野天風呂「オサルの湯」があることでも知られる。長流川沿いには湯の湧出が目立つ。
㊤ひかり温泉の玄関前の光景
ここをベースにすれば、オロフレ山、バケモノ山、徳舜瞥山、ホロホロ山、白老3山が狙いやすい。
㊤オロフレ山
◆㊤2月27日(オロフレ山)の軌跡
㊤ホロホロ山北西尾根
㊤徳j舜瞥山北面
◆㊤2月28日(ホロホロ山)の軌跡
7年通ってみて、2月のこの山域の山々はいい雪が積もり、スキー山行に最適だと感じている。
冬型の時には後志側から雪雲が入り、南岸低気圧通過時には太平洋側から雪雲が入る。胆振の山は少雪ではと思いがちだが、それは大間違いで、北部は雪はまずまずの積雪が期待できる。
2日間、計4つのツアーで計18人が参加して、うち17人が「ひかり温泉」に泊まり、楽しい時間を過ごした。
■参加者= マイケル、ひとみ、なべ、ふなこっし、ちーやん、おのっち、今爺、おい、山シゲ、みうらー、がみ、なかのん、マリー、たーみ、いずみ、イマエリ、あんべ、kuroneko<以上18人>
㊤準備万端、スキー班とスノーシュー班に分かれて、ひかり温泉前を出発=2月28日朝
以下は、山スキー班のオロフレ山とホロホロ山の記録である。
■オロフレ山=2月27日
◎タイムオロフレトンネル脇10:00➡10;30/10:55➡オロフレ山山頂(ピットテスト)12:50/13:30➡白水川沢ボトムc700地点14:45/15:05➡1062ポコ南主稜15:30➡オロフレトンネル北主稜滑降地点15:45➡オロフレトンネル脇16:05<下山>
◎メンバー = ひとみ、なべ、ふなこっし、ちーやん、おのっち、今爺、おい、山シゲ、みうらー、がみ、なかのん、たーみ、いずみ、kuroneko<以上14人>
ひかり温泉に不要な車を置かせてもらい、残りの車に分乗して道道登別洞爺湖線を目指す。しかし国道を南下するとともに雪が少なくなり、道道に入っても例年の半分くらいの積雪か。昨年の少雪の二の舞はご免―といろいろなサブルートも想定はしていたが、少々不安になってしまう。大滝側に比べて壮瞥側は明らかに雪が少ない。標高を上げるとともに少ないなりにそれなりの積雪になってきたので、当初予定通りの南面からのオロフレ山でいくことにした。
この道道は9時~17時のみ通行可で、あとはゲートが閉鎖されて閉じ込められるので、出発遅れやトラブルは行動を大きく制約してしまう。毎度、最も神経を使うところで、進行遅れには注意が欠かせない。
出発時は小雪混じりでホワイトアウト。適度な斜度の沢地形を登りオロフレトンネル脇から稜線に上がる。
㊤スタート地点で
㊤沢状地形を稜線まで
あとは分かりやすい尾根を行くだけだ
㊤視界はきかないが、オロフレ主稜を進む
そのうちに視界が徐々に視界がきいてくる。一カ所、オロフレ山山頂直下、c1200手前の傾斜が急な場所でシートラを強いられる。あとはスキーで何ら問題ない。
㊤シートラ地点で
山頂に着いた時点で、残り時間を考えると、パーティーを速足組と遅足組の二つに分けざるを得ないと判断した。時間の制約がなければ全体で一緒のルートを行きたかったが、スキーに自信がなかったり、シールトラブルのメンバー、スノーシューの計6人には行きと同じルートで帰ってもらうことにした。残り9人については雪不足でオロフレ山西面は上部のブッシュがひどく、東面をスキー滑降して大回りでP1062の尾根にとりつくことがベストと判断した。
㊤オロフレ山山頂直下の緩斜面を行く
㊤オロフレ山山頂で、一段下がったところで休憩中
この時期は山頂から少し硬斜面を下ると、パウダーになる。ピットテストの結果を踏まえ、上部は表層雪崩のリスクを考え、少し北面を回り込みながら東面を気持ちよく滑り降りる。オーバーヘッドのパウダースノーを浴びながらの滑降はこたえられない。
㊤オロフレ山山頂からノール地形を回避して、東斜面へ
㊤c1062ポコ東尾根を登り返してオロフレ主稜に戻る
沢のボトムまで降りきってC700。あとはC1062ポコに登り、行きのトレースをそのまま帰り、ジ・エンド。
㊤オロフレ周辺の山々の雪景色を楽しみながら下山へ
16時過ぎ、ゲート閉鎖までに余裕を持って下山できた。
■ホロホロ山=2月28日
◎タイム大滝工芸館9:15➡ホロホロ山山頂直下c1300地点c13:;45/14:15➡大滝工芸館16:10<下山>
◎メンバー = ひとみ、なべ、ふなこっし、ちーやん、おのっち、おい、山シゲ、みうらー、がみ、マリー、いずみ、イマエリ、kuroneko<以上13人>
朝湯、朝食、後片付け、会計、身支度、荷物の車への積載~。なんやかんやと時間がかかってしまい、やはり出発は遅れてしまった。
晴れ間が広がり、風もない絶好の天気だ。心地良さに、うきうきしてくる。
㊤大滝工芸館裏の森へ
工芸館裏から尾根に取り付き、伐採地跡を過ぎてしばらく登っていくと、前方に徳舜瞥山の鋭角的な山頂が正面に鎮座する。滑降予定の北東面が白銀に輝いている。
さらに疎林帯を進むと、見事な樹氷が続くようになる。背の高いトドマツやエゾマツとみられる針葉樹が適度な降雪によって立派なモンスターに変身している。北海道の樹氷の中ではなかなかインパクトがある立派さである。
㊤美しい樹氷帯が続く
北方には白老3山、恵庭岳が指呼の間に望める。
㊤ホロホロ北西尾根から見た白老3山と恵庭岳
ホロホロ山北西尾根は地形的に分かりやすいが、樹林がやや立ち込んでいるところが何カ所かあるのがスキー山行では難点だ。C1150くらいが樹林限界で、その標高より上はハイマツや低木主体だ。北西尾根中腹から山頂方向を見ると上部までびっしり樹林帯が続いているのがよく分かる。
針葉樹帯に続き、ダケカンバ帯を過ぎれば、周囲の見晴らしがきくようになり、メンバーから歓声が上がる。支笏湖ブルーが鮮やかだ。
㊤ダケカンバ帯を過ぎれば、絶景が広がる
山頂方向から右手に目を転じれば、徳舜瞥山山頂、滑降を予定している北面の小尾根が間近に見える。上部は真っ白なオープンバーンが広がっているのがよく見える。真っ白な鋭角的な山容は見事というほかない。
㊤右手に徳舜瞥山の鋭角的な山容が指呼の間にのぞめる
細尾根で若干アップダウンしている場所があり、少し迂回気味にルートを取るが、意外に時間を食い、山頂まで標高差20㍍のc1300地点にいるが、時間はすでに14時近く。ビンディングトラブルなどもあり、山頂直下の急傾斜の通過に時間を食うことが予想されたため、徳舜瞥山まで延ばし、徳舜瞥山山頂から北東面滑降は断念。行きに使ったホロホロ北西尾根をそのまま滑降して下山することにした。
㊤この日の最高標高地点、標高1300㍍の山頂直下で記念の集合写真
疎林を縫うようにツリーランして下山した。
㊤ホロホロ山下山時の光景
途中c1040地点でコノエオサレベツ川左股斜面側への滑降をもくろみ、みうらーさんたち8人がブッシュの濃い沢に入り込み、苦労したという。後方に居た4人は途中で行きのルートに戻り、事なきをえた。
想定していた徳舜瞥山山頂からコノエオサレベツ川へのパウダー滑降はできなかったのが少し心残りではある。徳舜瞥山山頂から北東方向にオープンバーンを滑り、オープンな小尾根からその西側の沢状地形に入って、コノエオサレベツ川ボトムc800くらいまで標高差500㍍の滑降である。これは今後の宿題ということで。
㊤ひかり温泉の3コマ
◆こんな歌がある。ひかり温泉の内風呂に大書されている。
「蟠渓ひかり温泉音頭」
ここは北国渓谷の国道453号線
道をはさんで森の中
田舎の古い小さな旅館
蟠渓温泉ひかりの湯
身体(からだ)も心も湯につかりゃ(ドウシタ)
お肌も心もピカピカさ
川で魚もひかり温泉音頭で
毎日飛びはねる(ヨイショ)
かつてこの宿に長逗留し、宿泊費を支払わずに消えた偽作詞家「久仁京介」が、宿代代わりに、男女の内風呂に観光マップとともに書き上げた作品だ。禍(わざわい)転じて、名物を為すということか。「久仁京介」が実在しない作詞家というのはあとで分かったという。
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