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岩尾温泉~雄冬山(増毛山道)=2015年10月12日

岩尾温泉~岩尾分岐~雄冬山肩=2015年10月12日
■メンバー 16人(マイケル、ひとみ、なかじ、タマ、なべ、ふなっきー、まべっち、コニッシ、ふなこっし、おのっち、今爺、タナッカ、ひすみん、前母、まちゃ、KURONEKO)

■タイム 岩尾温泉「夕陽荘」6:10~岩尾分岐8:50~雄冬山肩c1075地点11:10/30~岩尾分岐~旧武好駅逓(古通行屋=ふるつこや)跡13:00/13:15~岩尾分岐13:30~岩尾温泉「夕陽荘」15:05

この日の軌跡(総歩行距離・21.845㌔)
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増毛山道(雄冬山から岩尾分岐を目指して。暑寒別岳方面をのぞむ)
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■長い前置きから
18世紀以降、ニシン漁の漁場が北海道の日本海沿岸各地に形成され、特に増毛周辺は「マシケ千石場所」と呼ばれ、大量のニシンが獲れた。江戸時代を経て、明治から大正時代にかけては「一起こし千両、万両」といわれるくらい、ニシン漁は全盛時代を迎え、各漁場には人が増えていった。「開拓使事業報告」(明治18年=1885年)によると、天塩国・増毛郡(現在の増毛町)だけでも197のニシン漁場が開かれたと記録が残る。

◆歴史あふれる増毛のマチの光景
明治15年(1882年)創業、国内最北の酒蔵・国稀酒造の外観。国指定重要文化財
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◆明治8年(1875年)創業、増毛町発の総合商社「丸一本間家」の外観。同じく国指定重要文化財
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◆大正10年(1921年)に開業した留萌本線の終着駅・増毛駅
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◆12 :44 分着のドン行が入線してきた。廃止が取りざたされているため、撮り鉄、乗り鉄が目立ち、駅舎は賑やかだった
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しかし、石狩国・浜益郡(現在の石狩市浜益区)にかけての海岸線は、暑寒別連峰の山が海に落ち込み、断崖絶壁が多く、海岸線の各漁場間の通行、連絡がままならなかった。
そんな地勢的事情に加え、ロシアの南下に対する蝦夷地警護のため、箱館奉行により山道開削が半ば強制的に命じられ、マシケ場所などの場所請負人だった豪商、2代目伊達林右衛門(だて りんえもん、1799年~1872年)が、今の金額で1億7000万円の私費を投じて、安政4年(1857年)、開通させたのが増毛山道だ。

◆増毛山道の光景。馬が歩いた道なので比較的緩やかに付けられている
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◆増毛山道の別苅~岩尾分岐~岩尾温泉(岩老)には、別苅方向からと、岩尾温泉方向からと、それぞれ100ずつの番号標識が据えられている
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◆増毛山道本線の増毛町別苅側の入り口
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増毛町別苅(べつかり)から雄冬山肩、浜益御殿山頂を経て、旧浜益村幌(現石狩市浜益区幌)までの平面距離で27㌔の山道本線は、岩尾温泉~岩尾分岐の岩尾支線(平面距離で5㌔)とともに、交易路、生活路として人や馬が行き交い、部分的には戦後まで使われていたという。
北海道3大秘岬の一つ、雄冬岬周辺を含む海岸線沿いの道路整備がようやく終わり、昭和56年(1981年)11月、国道231号が全線開通。留萌管内と石狩管内を結ぶ幹線道路がつながったことで、増毛山道の意義は完全に失われ、廃道化が一気に進んだ。
ちなみに、国道が全線開通した同じ56年11月に発表された映画「駅STATION」では、増毛~雄冬が陸路でなく、船便でつながっていた光景が描かれている。

◆駅「STATION」(降旗康男監督、高倉健、倍賞千恵子主演)のDVDパッケージ
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主演・高倉健扮する道警刑事の出身地は雄冬。事件捜査とプライベート両面で、主舞台の増毛駅に出入りする場面が映し出され、増毛港~雄冬港を行き来していた定期船便がたびたび出てくる。「陸の孤島」時代の雄冬が美しく、厳しく描かれている。
増毛山道は、増毛町を中心にしたニシン景気の栄華に加え、長く続いた「陸の孤島」時代の雄冬~浜益エリアの歴史の所産に他ならない。
そんな北海道の歴史遺産を何とか復活させようと、有志が2008年、NPO法人「増毛山道の会」を立ち上げ、留萌振興局の協力を得て2010年、増毛町別苅~岩尾分岐(平面距離で11㌔)と、岩尾温泉~岩尾分岐(同5㌔)をまず復元。さらに2014年に岩尾分岐~雄冬山肩まで(同5㌔)を復元させ、市民トレッキング開催などで山道のPRに努めている。
雄冬山肩までの北側は留萌管内で道有林と民有林、雄冬山肩~浜益御殿は留萌管内の道有林と石狩管内の国有林が並走、浜益御殿山肩より南側は石狩管内で国有林が中心。石狩側の山道復元についてはようやく国有林内の踏査が許可され、今年後半から来年度にかけてルートの位置確認作業が予定されている。
山道の最高標高は1000㍍を超える。札幌周辺には、1000㍍を超える登山用の縦走路として空沼岳~札幌岳があるが、交易・生活路としての古い歴史を誇る山道としては道内でも飛び抜けて高い標高に開かれたものだ。ちなみに、北海道には全部で2400の一等水準点があるが、最も標高が高いのが、この増毛山道上にある浜益御殿山頂(記録上は1038㍍)になる。図面上、山道には、明治39年(1906年)~40年に埋石された一等水準点が全部で17あることになっている。この山道が重要なルートであったことの証である。このうち10の一等水準点が確認できている。
豪雪地帯の山道だけに、維持していくためには人の往来が欠かせない。いい形で多くの人が行き交えるようになり、貴重な歴史遺産を後世に残していけないものか。
山道上には雄冬山(1198㍍)、浜益御殿(1039㍍)の暑寒の名峰2座があり、登山道として増毛町別苅、岩尾温泉、石狩市浜益区幌から登山者が往来することが最も現実的な解決策かと思われる。そのためにも、石狩市側の山道復元が具体化してくれればと願う。

◆大まかな概念図
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◆積雪期の増毛山道本線C700付近(岩尾分岐南)から雄冬山(右奥)を見るとこんな感じだ=2015年3月21日
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■プレイベントは深夜に及んだ
前日、増毛町内に入り、先発隊は増毛観光。国内最北の酒蔵である国稀酒造、総合商社「丸一本間家」、高倉健主演の映画「駅STATION」の主舞台、増毛駅周辺を探訪、果樹園や養蜂園、かまぼこ店、魚介店を回った。江戸時代からの古い歴史を誇る増毛の一端を知る。
ちなみにロケで使われた風待食堂は観光案内所になっており、映画撮影時の写真パネルが展示されている。
18人が増毛町内の某所2カ所に分かれて宿泊、夜遅くまで杯を重ねた。
翌12日朝、前夜の深酒がたたったのか、体調不良などで酒豪の2人がリタイヤ、残り16人が岩尾温泉の最奥にある「夕陽荘」前に集結した。
強風による越波で、雄冬~浜益の国道231号は通行止めで、白波が防波堤に打ち寄せている。天気は曇り空だ。
夕陽荘に断って車を駐車場の一角に駐車させてもらい、坂になった車道を登り、増毛山道の会が設置した「山道標識 i1」が出発地点になる。
ちなみに標識にある「i」は「岩尾温泉起点」の岩尾支線を意味しており、別苅まで160㍍間隔で岩尾温泉からの登りルートとして見えるように設置されている。逆向きに同じように160㍍間隔で「b」の標識が掲示されているが、これは「別苅起点」の「b」という意味で、岩尾温泉まで設置されている。つまり、前後を見れば80㍍間隔で標識があることになっている。

◆増毛山道・岩尾支線の入り口、増毛町岩老の岩尾温泉の光景
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■山行編
本山行は、増毛山道の会に協力を仰ぎ、留萌振興局に入林許可申請をして許可をうけて実行に移した。現時点では、無許可での入林ができないためだ。
岩尾温泉のある岩老集落のはずれ、「i1」の標識を前に、橋を渡ると、畑がしばらく続く。やがて森の中に道は連なっていく。海岸線の風はきつかったが、樹林の中なのでまったく風の影響がない山道だ。
マルヒラ川沿いに高度を徐々に上げていくが、山道沿いには、民家の痕跡とおぼしき石垣の名残がところどころに残る。30分も歩くと民有林を抜け、道有林に入る。道有林の入り口には「立入禁止」の赤標識が2つかかっており、トラロープで「通せんぼ」状態になっている。許可を得ているので、そのまま進ませてもらう。

◆道有林の「入り口には、「立入禁止」の赤標識が設置されている。
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やがてマルヒラ川に注ぐ支沢を越えるところに石組み跡が出てくる。山道を歩く馬にとっては支沢越えの細かいアップダウンが難敵。支沢を越えるための橋脚跡だそうだ。


◆馬が支沢を渡るために橋があった場所
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◆一か所、水流がそれなりにある沢越えもある
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こんな支沢越えを何カ所かを越えて、最大の支沢をクリアすると山道はやがて直上し、地形図上にある林道と交錯しながら進む。途中、電信・電報時代の名残、電信柱の残骸が4、5本散見された。
山道があったとはいえ、積雪期には海は荒れて、海岸沿いの漁場(集落)同士の連絡、往来はまなまならない。特に断崖絶壁が断続する雄冬、浜益地域は陸の孤島と化してしまう。そうした事情もあって、暑寒別連峰沿いで明治21年(1888年)から電信線の敷設工事が進められ、22年(1889年)7月に完成。電信線は札幌方面とつながり、その年の9月には増毛でも電信や電報が使えるようになったという。
しかし、豪雪に伴う雪崩や風雪で電信線が切れるなどして、試行錯誤の末、維持しやすい山道沿いに敷設されたとみられている。電信線は、浜益御殿や雄冬山越えの敷設で苦労したとみられており、難所では建柱の間隔を縮めたり、太めの鋼線を使ったりと工夫されたようだ。


◆山道沿いに残された電信柱
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◆樹間越しに増毛天狗がよく見える。
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今年3月、増毛天狗と雄冬山に登りに来たときにBCを置いた林道をかすめて増毛天狗の山麓を回り込むようにして進むと、やがて岩尾分岐に出た。3月に登った増毛天狗973ポコ南尾根末端付近に、増毛山道本線と岩尾支線の交点に当たる岩尾分岐がある。
岩尾分岐から雄冬山側にはトラロープが「通せんぼ」状態になっているが、許可を得ているので、これも通らせてもらう。あとはたんたんと山道を行くだけだが、岩尾分岐から雄冬山側は現時点で未整備のため標識看板はない。峰越え林道を横断する地点が分かりにくいが、ピンクテープがルート上につけられている。


◆山道には、「一級国道」の証とも言える「一等水準点」が設置されている。この水準点「8465」
は明治40年7月の埋石、標高は921㍍だ
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やがて、C971ポコのササ斜面が眼前に広がるが、スキーにはちょうどよい斜度に見える。山頂前衛峰971ポコの西側を巻くように進むと。山頂稜線のC1050~1000の急斜面が見えてくる。3月に山スキーで来たとき、アイゼンを持っていなかったためこの急傾斜上部で引き返したことが思い出される。山道はこの山頂稜線ではなく、山頂稜線手前鞍部から緩やかに東斜面につけられていた。途中、C1030付近の山道上に柱石のようなサークル状の石組みがあり、雄冬山肩の一等水準点かと思いきや、これは電信柱を立てるときの支柱だそうだ。
そのまま進むと、C1040付近で二股になり、山頂方向に直上する右股を進んだ。しかし、C1075でまたしても二股。直上する右股入り口にはピックテープで「通せんぼ」になっていたので、ここが刈り払い跡では最高標高地点と判断。あとで増毛山道の会に照会したところ、この付近からさらに水平方向に約800㍍進んだところまで刈り払いが終了しているとのことだった。
2週間前、増毛山道の会でこの雄冬山肩から山頂を目指してヤブ漕ぎをしたところ、藪が濃密で、登り2時間、下り1時間かかったそうだ。
山道の最高標高が浜益御殿のC1038(一等水準点「8462」)とのことなので、C1075だとちょっと上がり過ぎかもしれない。電信柱敷設、維持の関係で雄冬山越え付近にはいろいろな刈り払いの痕跡があるようで、復元作業の見極めが難しくなっているとの話も聞いた。遠からず、ルートが確定するのを待ちたい。
ちなみに、雄冬山肩には、一等水準点「8464」(C1031㍍)があるはずだが、まだ見つかっていないという。
見晴らしのいいC1040付近まで戻り、長休憩。暑寒別岳、浜益御殿、郡別岳方面が見えるが、上部には雲がかかっていた。


◆雄冬山肩から、浜益御殿(右端)方面をのぞむ
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眺望を楽しんだあとは来た道を戻ったが、途中、断続的に雨に見舞われた。しかし一応の目的を達した後だったので、たいして気にはならない。

◆雄冬山肩斜面を降りると、山頂周辺はガスに煙っていた
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◆雄冬山肩から岩尾分岐への戻り。正面は増毛天狗
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岩尾分岐まで戻り、時間的に余裕もあったので、旧武好駅逓を目指す。7~8分歩くと、増毛天狗南東斜面末端、沢上地形の平坦地に「武好橋」の標識がある地点に達する。地元の人々が「ふるつこや」と呼びならわしてきた「古通行屋」の標識もかかっていた。


◆旧武好駅逓(「古通行屋(ふるつこや)」)の一段下には、格好の水場があり武好橋がかかっていた。その前で記念のショット
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◆古通行屋の標識。武好橋より一段高台にあり、ここが正確な旧武好駅逓跡のようだ
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旧武好駅逓跡をチェック下跡は、岩尾分岐まで戻り、往路と同じルートを下り、岩尾温泉「夕陽荘」に下山、「夕陽荘」では海を見ながらいい湯につかって汗を流し、帰札した。

◆夕陽荘前へ下山
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なを、本山行は、計画段階から増毛山道の会のK事務局長やIさんに協力をいただき、留萌振興局への橋渡し、詳細な現地情報をいただいた。この場を借りて、厚くお礼を申し上げたい。



武好駅逓について

江戸末期に「通行屋」として建てられた人馬の休み場、旧武好駅逓(古通行屋=ふるつこや=)は、明治9年(1876年)に火事で焼失し、明治35年(1902年)に約2㌔別苅方向に位置する場所に移転・新築された。
昭和16年(1941年)6月の廃止時まで人馬の往来拠点となっていたことが分かっている。廃止後も新武好駅逓の建物は戦後まで残り、北大山岳部の昭和24年(1949年)の記録に「もうすでに廃屋となってしまっていたので床下にテントをかぶって泊まった」との記載と写真が掲載されているが、その後、倒壊したのであろう。今は建物は朽ち果ててない。
旧武好駅逓については判然としないが、新武好駅逓のほうは、伊藤秀五郎の「北の山」や坂本直行のスケッチで描かれるなど、建物の形状、間取りもはっきりしている。
秀五郎は「北の山」の中で、昭和5年(1930年)の記述でこの駅逓についてこう記している。「雄冬と増毛から毎日一回、遞送人がこの駅逓で落ち合って、郵便物を交換して帰るという昔ながらのしきたりを反復しているほかは、たまたま(雄冬方面から)増毛の町に用事を足しにでた村人が立ち寄るくらいのものである」
大正12年(1923年)5月に新武好駅逓を初めて訪れた秀五郎は「ここのどことなく落ち着いた気分が好きなのである」「暑寒別山塊の山歩きにも、最初の夜を過ごすべきただ一つの旅舎なのである」と、昭和にかけて、暑寒別岳での4~5日のテント山行の出だしとして、たびたび訪れたことを紹介している。
おそらくは、鉄路を使って、大正10年(1921年)に開業したばかりの増毛駅で降り立ち、別苅から増毛山道を経由して一泊目を武好駅逓でステーションビバークし、山道をそのまま使い、雄冬山を越えて、浜益御殿経由で浜益岳、郡別岳方面や暑寒別岳方面に抜けたのであろうか。


◆2014年9月28日に日本山岳会パーティーで行った時の新武好駅逓跡。地面上に間取りが記され、茶碗やビンなどの残骸が残っていた
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◆明治35年(1902年)に建てられた新武好駅逓跡には、再現図が設置されている
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◆坂本直行氏が昭和24年(1949年)ごろに撮影したとされる新武好駅逓。廃屋状態であることが見て取れる。ここにも電信柱が写っている
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◆「北大山岳部々報」第1号(昭和3年=1928年=6月発行)に掲載された坂本直行氏の武好駅逓のスケッチ。大正15年(1926年)6月に駅逓を訪れた際に描いた作品だ。バックの山は増毛天狗
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◆「札幌二中山岳旅行部部報『ヌタック』」1号(昭和4年=1929年=1月発行)に掲載された坂本直行氏の武好駅逓の版画。北大山岳部々報1号に掲載されたスケッチを使って彫り上げており、図柄は同じだが左右が反転している。意図的な作品なのか、原版の表裏を間違えて刷った作品なのか。随想「武好の春」の挿絵として使っている
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<参考>
~坂本直行作「武好の春」から抜粋~

駅逓はガランとした大きな建物で、広い土間の片隅に、
清澄な泉が音をたててコンコンと流れていた。
家のすぐ側に炭釜があった。・・・
一夜泊った翌朝は、老人の予言通り濃霧が晴れて、
暑寒別、群別、浜益、浜益御殿の増毛山群が、
豊富な雪をベットリとつけて現われた。
きびしい山容は持たないが、大らかな展望のなかに
この山群独特の美しさを感ずる。
私は半日駅逓の屋根に上って、たのしいスケッチに時を費した。





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by babishe2009 | 2015-10-14 22:11 | 山行部 | Comments(0)
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札幌発バビシェ・マウンテン・クラブの活動記録です


by babishe2009
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