増毛山道「ササ刈り」山行=①2016年9月16日N~19日、②10月8日~10日
◆メンバー
ナベ、フナ、ウシホー、kuroneko(4人)
◆タイム
略
江戸時代末期、増毛周辺の漁場経営に当たった豪商(場所請負人)、伊達林右衛門が箱館奉行所の命を受け、私財を投じて開削した「増毛山道」の復元作業を少しばかりお手伝いさせてもらった。
先行して入山していた増毛山道の会の渡辺さん、堀田さんの作業にわれわれ4人が後方支援として加わり、標高900m超のササ刈りを進めた。
背丈を超えるササを刈るには手間と時間がかかり、1日せいぜい100~200mしか進めなかったが、雄冬山肩から南の稜線に入るあたりの眺望はすばらしい。この眺めを見ることができただけでも満足な2泊3日だった。
下山後は増毛中心街で買い物をし、増毛町岩老の温泉「夕陽(せきよう)そう」で汗を流して帰路に着いた。
現時点(2016年9月19日)で、残った未復元部分は、雄冬山南側c900~浜益御殿北側c900の約1.5㌔区間になる。今後も、増毛山道の会と石狩市による復元作業が予定されれており、10月中の全通が見えてきた。
全通すれば、国土地理院の地形図(当面はウェブ地図)にも登山道マークで反映されることになっている。
対象となる地形図は、2万5000分の1地形図では別苅、雄冬、浜益の3枚になるが、紙地図は在庫がはける見通しにならないと印刷しないのが現在の地理院の基本姿勢なのでいつになるかは不透明だ。
★★2回目のササ刈り山行=2016年10月8~10日★★
◆メンバー
マイケル、フナ、ウシホー、kuroneko(4人)
◆タイム
略
4人で増毛町側から再度入山、雄冬山肩から南下してササ刈りとルート付けを行い、浜益御殿側から北上してルート付けを行った増毛山道の会の渡辺さん、堀田さんとドッキング、山道ルートがつながった。
10月16日、雄冬山~浜益御殿のほぼ中間地点で最後に残した10mのササ刈りが行われ、増毛町別苅~石狩市浜益区幌27㌔を結ぶ160年の歴史を持つ古道が蘇った。 この日は、増毛山道の会、石狩市役所、増毛町の関係者25人が集まり、最後のササ刈りを見守り、開通セレモニーで「全通」を祝った。
2017年には「全通」を記念して、増毛山道の会などによるさまざまなイベントが予定されている。石狩市も浜益区幌に近い場所に新たにできる道の駅を、増毛山道のPR拠点にするという。
以下は1回目のササ刈り支援山行の模様
増毛山道から見た浜益岳、幌天狗、群別(くんべつ)岳、尾白利加(奥徳富)岳<右から順に>
増毛山道の未開通部分(9月19日現在、水平距離で約1.5㌔)
増毛山道本線核心部に入る起点で、こんなものまで用意してもらっていた(恐縮の極み)。中央の白髪の方が増毛山道の会の小杉忠利事務局長
<動画>復元作業最前線の模様
ササ刈り機2台を駆使して、山道を復元していく
蘇った山道を「いの一番」で踏みしだく
ルートを見極め、ピンクテープで目印を付ける増毛山道の会の堀田さん。一様なダケカンバ交じりのササ原もしゃがんでみると、人馬が通った痕跡は明瞭にわかる
かつての5万分の1の地形図、航空写真などを下敷きに山道ルートを落とした2.5万分の1地形図も参考に現場で確認し、復元すべきルートを見極める。時間のかかる作業の繰り返しだ
1日のササ刈りで刃はダメになるので、替え刃取り換えを行う
テントサイト(雄冬山の肩c1075を下降したc1003m付近)の光景。1日の作業を終えて安堵感が漂う
暑寒別岳から朝日が昇る
増毛山道shots
①浜益岳
②群別岳と尾白利加岳
③暑寒別岳
④雄冬山斜面
⑤雄冬山
全日程を終えて、正面に増毛天狗を見ながら下山へ
標高921m地点にある「一等水準点」(雄冬山北東、971ポコ下方)。明治40年7月、旧陸軍陸地測量部が埋石したものだ。増毛山道がかつての一級国道だった証でもある
下山後、増毛山道の増毛町別苅側の起点に立ち寄る
3日間の作業で行き来し、入山と下山で往復した増毛山道。その光景を留めおきたい
★★2回目のササ刈り支援山行=10月8~10日★★
◆メンバー
マイケル、フナ、ウシホー、kuroneko=以上4人
10月8日、浜益御殿側から北上した増毛山道の会の2人と山道ルート上でドッキング、山道ルートがつながった
山道跡には、明るい林地を好むダケカンバが一列に繁茂し、山道ルート探索の上でも役に立った
雄冬山付近は雪に覆われた=10月10日
雄冬山南のテントサイト周辺
雄冬山肩